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女性僧侶「山口依乗」が説く、『聞くということ』。 〜おおいなる誤解をとく〜

都会の駆け込み寺『寺カフェ代官山』。仏様の智慧をヒントに共に悩み、語ることで心の安らぎを共にしたいと願う、お坊さんのお話をお届けします。今回は女性僧侶“依乗先生“が説く『聞くということ』。みなさんはひとの話しを本当に聞いていますか?

おおいなる誤解をとく

先日のことです。

お部屋に入ってこられてからずっとなんです。 ずっと手を交差するように胸を押さえて、時々窺うように私を見るんですね。

不登校のお子さんと一緒に来られてお母さん。

時々、ふーと上の空になって、目の前にいるこの子のことより心配なことがあるみたい。今の私自身の気持ちを率直に伝えます。

わたし:「先ほどから、凄く気になるんですが…。」

彼女:「あぁ、私こわいんです。」

わたし:「怖いんですか?」

彼女:「ええ、こわいんです。」

わたし:「・・・?」

北海道弁で“疲れた“とか、“しんどい“というときも“あぁこわい“といいます。

わたし:「どこか苦しいんですか?」

彼女:「いえ、あのー」

わたし:「はい?」

彼女:「全部分かっちゃうんですか?そのぉー・・・心の中?」


あぁ、一寸誤解があるみたいですねぇ。多いんです、こういうこと。


わたし:「私があなたの心の中、みんな解ってしまうのではないかとそう思うんですね?」

彼女:「えぇ。」

わたし:「で、それが心配?」

彼女:「・・・。」


心の専門家やセラピストにとって“透き通るように相手を理解する“ことは必要な条件です。


しかし、読心術のようなことを言うのではありません。


心は一人の人間と一人の人間のあいだ(真中)に、今このとき一瞬一瞬に生まれては消えるものなんだと思います。


こころとは、見たもの聞こえた音、因縁に触れて(条件によって)変化して止まない、常に現在進行形のエネルギーの流れであり、波動でしょう。

一刹那、いっせつな、生滅するおもいです。

セラピーの仕事とは、その心の流れの音、響きを聞いてゆくこと、自己の流れが滞っているヒトや、自分の心の響きが聞こえなくなっているヒトのこころをふたりの真中において観察しながら、心の音や響きを聞こえやすくするお手伝いをすること。

どんな学問かというと、ひとり対ひとりの二人称的人間関係論、コミュニケーション学なんですよ。

それにしても、私に読心術のような超能力があったら、いくら手で隠したって無駄ですよねぇ・・・。



山口依乗 やまぐちえじょう

北海道帯広市出身。 胎教からお念仏に育まれ、熱心な門徒であった両親の影響で念仏者となる。 27歳から心理カウンセラー・音楽療法士として奉仕活動を続けている。 浄土真宗本願寺派布教使。



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