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アルガンオイルを世界に広めた第一人者 シャルーフ教授×木村至信先生 来日対談インタビュー

アルガンオイルで社会を変えたシャルーフ教授の長きに渡る情熱の物語に、芯のある強い女性をテーマに語る情熱女医木村至信がインタビュー! 女性の社会進出、教育、環境保護、アルガンオイルが社会を変え、国を動かす!!

木村至信先生(以下:木村):第1回目のスローフード大賞を受賞されていますが、日本でいうところの“スローフード“より、もっと深い背景があると思います。オーガニックというだけではないのですよね?


ズビダ・シャルーフ教授(以下:シャルーフ):生物多様性の保護、その地域で働く人たちのリテラシーの向上、適正な収入確保などフェアトレードと連動した僻地の伝統農業の活性化が評価され、スローフード大賞を受賞しました。

木村:それではモロッコ女性の社会的地位の向上にも貢献しているのですね。変化の前はどのような状況だったのでしょうか?

注】スローフード大賞とは、その土地の伝統的な食文化や食材を見直す運動として、1989年にイタリアで国際スローフード協会が設立された。その際に世界各国の伝統的な農業、その産品の中から、最も評価されたものに授与されるスローフード大賞が設けられた。協会設立後最初の記念すべき賞がアルガンオイルに授与された〈2001年〉。via スローフード - Wikipedia

シャルーフ:一般的に女性の社会的地位は低かったのです。しかも都市部ではなく、僻地のような所に暮らすベルベル女性たちの地位は本当に低く、虐げられている状態でした。


ほとんど社会的には認められず、疎外されてもっぱら家の中で仕事や家事をして閉じ込められていました。 農作業をしても、重労働なことは女性がさせられていました。一方で得た収入は全部夫が主導権を握っていて。

そういった、虐げられ疎外された状態が、実は普通でした。

それが、アルガンの組合活動を通じて改善されていきました。

木村:やはりそれはスローフード大賞があって、国際的に化粧品・食品企業の知るところとなり、次はメディアが逆に『アルガンオイル』や、その背景を取り上げるようになったことで、モロッコの社会に影響を与えたということでしょうか?

シャルーフ:スローフード大賞は、発展の礎になりました。 当初、組合のような組織に、モロッコではこれらの女性が参加して仕事をすること自体考えられないことで、女性が家を出て組合で働くということは極めて困難でした。夫が許可しないということもありました。

そういったことも外部(メディア)からの反響で変わっていったのです。


木村:スローフード大賞は、本当に大きな、大きな変化のきっかけになったのですね。


シャルーフ:スローフード大賞受賞は、通常のマーケティングによるプロモーション活動に換算すると、多額の費用を要するほどの広報的な効果をもたらしました。

木村:私が働く医学の世界は、完全に男性がメインです。女性は妊娠、出産を機にドクターとしてのメインストリームから外れてしまうこともしばしばです。 もっと働きたい、勉強したい、そんな女性もいると思うのですが、最初のモロッコ女性の置かれていた状況、そして現在の状況を教えてください。

シャルーフ:1996年まで働きに出ている人の中でも、読み書き出来ない人が95%以上いました。 現在、読み書き出来ない人は55%まで下がっています。

女性の地位が変わると、そこで得た収入によって、子供に教育を受けさせることも出来るようになり、自分も識字教育や職業教育を受けられるようになりました。

経済的にも意味をもち、社会的にも自分が言葉を分からないことに対して、なんとか学習しようとし、自分を改善しようと自らが考えるように変わっていきました。 全てが変わって良いほうへ回っていったのです。

木村:素晴らしい成果ですね! 教授の印象に残っている出会いやエピソードなどがあれば、お聞かせください。

シャルーフ:エピソードはたくさんありますが、私の身近なケースではこんな女性たちもいます。

ひとつは、ベルベルの既婚女性で、旦那さんが突然亡くなられた方がおりました。自分一人と沢山の子供たちが残されてしまい、そんな中で彼女は働いたこともなく、働くすべもなく途方に暮れ、そんな時にこのテトマチン組合を知り、『働くことは出来ますか?』と訪ねてきてくれたのです。

その段階では、彼女は字も読めないし書けない状態・・・。 それから彼女は組合に入り、組合の活動・教育を通し目覚めていき、モロッコの国会議員にまでなりました。

そうして逆に、彼女が社会活動を率先して行う立場になり、素晴らしい変化を遂げたのです。

木村:それは私の想像を、はるかに超えるほどの大きな変化ですね。

シャルーフ:それからもうひとつ。

アルガンオイルを製造している女性たちが所属する組合、『テトマチン組合』の理事長のアミナさん。 昔は貧しく、やはり字も知らず書けない粗暴な少女でした。

彼女も組合に入り、活動を通して目覚め、最終的には組合の300人近くの指導者となり、今では村の議員にも選ばれるほどに成長したのです。

昔のモロッコでは、到底考えられないようなエピソードなのです。

木村:そのように活躍する女性がいるならば、組合に入りたい女性が後をたたないのでは?

シャルーフ:組合が注目されるようになったのは、スローフード大賞だけではありません。 現国王が王位を継承して初めてフランスを公式訪問した際(2000年3月)に、アルガンオイルの組合の活動を紹介したことも、組合が注目され訪問する人たちが、後をたたないこととなるきっかけとなりました。

国はこのようなアルガンオイルの生産組合の活動に触発されて、他の生産物、サフラン、デーツ、サボテンオイル、ヘナなどの生産を組合による社会開発モデルを採用して進めるようになりました。木村:この組合の社会的活動が、大変素晴らしいことがよく分かりました。

製品として組合のアルガンオイルが、他のアルガンオイルより優れている点がいくつかあると思いますが、その最も大切にされていることを教えてください。

シャルーフ:香りですね。

製造工程に香りの秘密があります。そして、どのようにしてアルガンの“実“を得るかということが重要です。 アルガンオイルを作るためのアルガンの実は、緑色→黄色に変化し、黄色になったら熟して自然に木から落ちます。 だいたい7〜8月に実が成熟し、アルガンの木から自然に落ちた実のみをアルガンオイルの製造に使うこと。 先ずこれが、クオリティーの第一段階の良さと言えます。

木村:なるほど。 オリーブオイルは実を絞るから、木から実を手摘みしますよね。 アルガンオイルは、実の中の種(仁)を使っているから実を得る方法がポイントなのですね。

シャルーフ:そうです。 オリーブとは異なり、木から実を手摘みするのはクオリティーの点からもNGです。 未熟な果実を使うことになってしまうのです。

それから、モロッコ王国ではアルガンの木になっている実をダイレクトに手摘みするのは、法律で禁止されています。 木を揺らしたり叩いたりして故意に落とすのも禁止です。 あくまで落ちている実のみが使って良いとされています。

理由は、成熟して自然に落ちた実の後に、次の実をつけるから。 自然に落ちた実の後にしか来年の実は生まれないため、揺すったり叩いたりして落とした実の後には、来年からはもう実はつかなくなってしまうのです。

そのような行為は、来年の収穫のチャンスまで奪ってしまうことになるので、法律上禁止されています。

木村:アルガンオイルは、“守りながら作っていく“ということですね。


シャルーフ:アルガンの森を守り、砂漠化を防ぐためにも、またベルベル女性の仕事をなくさないためにも、私たちとともに、国も最近では率先して植林を進め、アルガンツリーを守っております。


木村:普及してくると粗悪な類似品が出てくるものですが、品質を維持するということで、精製過程でどんなことが大変でしたか?

例えば衛生面や、充分な精製とはどのタイミングなのか、そのシステムの構築に関して先生の経験と苦労なさった点もお聞かせください。

シャルーフ:IGP認証の取得です。IGP認証が要求する品質水準を維持することで、この高い品質の違いを得ることができます。

モロッコにはIGPの国内制度がなかったので、国際的な交渉、法律をつくり、指導者の教育トレーニングなど必要な制度化を含め、取得に5年を要し2009年にモロッコ王国が認める本物のアルガンオイルの称号であるIGP認証を無事取得することができました。

とにかくこの地理認証を取得するためには、とても厳しいプロセス(かなり詳細な分析規格)があって、その規格を守るためのプロセスを着実に実施していかないと、この香りにはならないのでとても大変でした。

【注】IGP認証とは:優良産地を証明する制度。”Indication Géographique Protégée ”(地理的表示保護)の略語で、知的財産権の一つであり、国連の世界知的所有権機関(WIPO)の定義によると、「特定の地理的起源(原産地)を有し、その原産地に由来する高い品質や評価を備える製品に用いる表示」である。 例として、シャンパンはフランスのシャンパーニュ地方のものでないと"シャンパン"とは、名乗れない。via 引用:EU MAG引用

木村:香りを大切にしているというのは、美味しさのためだけでなく、品質を証明、良いアルガンオイルを見分ける方法になるということですね。

シャルーフ:先程言いましたように、適正に収穫した果実であることを、明確にするためのトレーサビリティー確保のしくみづくりであり、その果実の一番搾りのみを使用することも含め、IGP制度で定めた詳細な規格、製造プロセスに従って製造することが重要。 だから香りを大切にしています。

木村:結論として、良いアルガンオイルの見分け方は『香り』とIGP(トレーサビリティーが確保された種を使った一番絞り)であることなのですね。


シャルーフ:クオリティーの違いはこの香りとIGPのラベルですが、特に香りが重要です。 ヨーロッパの香りの分析の専門で、私の同僚でもある教授が、ドイツ、スイスで100以上の市場に出回っているアルガンオイル商品の香りの分析評価を行いました。

モロッコのテトマチン組合を訪れ、組合のオイルの香りの分析も行ったところ、今まで行ったどのオイルの香りとも違う、最も良い香りであったので驚いて、なぜこれほど香りの品質がいいのか知りたがったほどです。

その答えが、IGP認証の要求仕様に忠実に従った、製造の結果である旨をお答えしました。 つまり、IGP認証を得る過程でできたクオリティーなのです。木村:実は私はシンガーもしておりまして、先日レコーディングのときに、お湯にアルガンオイルを入れてブレイクの度に飲んでいました。

アルガンオイルは、喉の粘膜をオイルがカバーして水分が蒸発するのを防いでくれますし、粘膜が保護されて声の耐久性が上がります。

シャルーフ:これは気に入ったわ!すごくいい方法ね!!

木村:テレビの番組でもアナウンサーの方や、舞台俳優さん、歌手の方にもオススメしています。もうアルガナッティは手放せませんね。(笑) 教授のオススメの使い方も教えてください。

シャルーフ:モロッコの南部では、ベルベル女性が妊娠して子供を産んだ後、まず一番にすること。

それは、産まれてきた子供にスプーン一杯のアルガンオイルを飲ませることです。 『脳に良い』と言われており、昔からの習わしのようになっています。

木村:私はフィリピンのマニラのスラムに行って、医療ボランティアもしています。切実な現状を変えるのは、その時の支援と同時に教育が私は必要だと思っています。

まずは文字を知り、文字を読む、考える、そして実行する、などです。

シャルーフ:まさにこの二つ、女性の自立支援と教育を同時に実現するために活動してきました。


木村:最後に、教授にとってアルガンオイルとは?


シャルーフ:私のライフワークです。 アルガンオイルの可能性を引き出し、国際的評価に充分通用するような価値にする為に、あらゆることを行ってきました。

また、このような試みを通じて、モロッコ王国の女性教育と環境保護、この二つを両方同時に大切に考えていくことが重要で、この二つがうまく回ればどんなことでも出来るのです。

19〜20世紀の間、アルガンの森は全体の50%が消失しました。 1965年〜1980年にかけては毎年600ヘクタール余りの森が減少し、砂漠化の危機に追い込まれました。 その結果、仕事のない農民たちの離村もあとを絶ちませんでした。 

そんな状況で、私たちが取り組んだアルガンオイルの価値を高め、森を女性達自身が守っていく活動が国際的にも反響を呼んでいくことが、国をも動かすこととなり、以後、アルガンの植林による再生は急激に加速しています。

アルガンの森は顕著に回復しつつあります。

この先、2020年までにモロッコ王国は森林再生を国の政策として、アルガンの森を20万ヘクタール増加させる計画です。 アルガンの森の保護、女性の地位向上の目標は実現の途上にあり、さらにアルガンを介してコミュニティも出来てきました。

アラブのことわざに“男の子を教育するとひとりの男になる、しかし、女の子を教育すると国を教育(変える)する“という言葉があります。


私は女性が社会を変えていけると信じています。


私は組合によるアルガンの生産活動の組織化を通じて、5000人の女性の雇用を創出しました。 一人の力でお金もありませんでしたから、国で行うのに比べ時間がかかりました。 20年が必要でした。

ただ、アルガンオイルはひとつのモデルケースでもあります。 目指しているのは、アルガンの森の中の植物についてもアルガンオイルと同様な手法で高度利用し、さらなる環境問題・社会開発に取り組んでいきたいと考えています。


Zoubida Charrouf(ズビダ・シャルーフ)

モハメッドⅤ世大学、理学部教授。アルガンの木の研究の世界的第一人者。

研究領域はモロッコの薬用植物に係わるファイトケミストリーであり、それらに関連する化粧品、機能性食品分野に及ぶ。アルガンオイルを通して、モロッコやアフリカ女性の社会的地位向上に貢献したことで、ノーベル平和賞に推薦されるなど、国際的に数々の賞を受賞。1996年に初めてアルガンオイルの製造と販売を行う女性によるタルガニンプロジェクトを設立した創始者。アルガン及びその派生物に関する100報以上の論文の著者であり、300以上の講演を学会等で行う。


木村 至信

医師・医療コメンテーター

信州大学病院勤務時代は難聴遺伝子、遺伝子解析研究のスペシャリストとして厚生省の難聴遺伝子研究員としてアメリカに留学。大学病院での高度医療、癌センターでのオペ研修など医療のトップレベルで15年以上勤務。

帰国後は横浜市大医学部にて医学博士取得。現在は横浜市内のクリニックで地域密着の診療と都内某有名美容外科にて、美容外科医としても勤務中。


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