僧侶「三浦性暁」による役に立つ法話 『鬼は外、福は内』〜善人と悪人〜

都会の駆け込み寺『寺カフェ代官山』。仏様の智慧をヒントに共に悩み、語ることで心の安らぎを共にしたいと願う、お坊さんのお話をお届けします。今回のお話しは節分について。“鬼は外、福は内“の鬼とはなんぞや??

『鬼は外、福は内』〜善人と悪人〜

「節分」は、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことで、「季節を分ける」という意味だそうです。

一般に、立春前の節分では「鬼は外、福は内」と声を掛けながら、煎り豆をまき、歳の数だけ、または一つ多く豆を食べ、厄除けをする行事が全国的に行われています。

この行事は、病気や災難を「鬼」に見立てて家の外に追い出し、幸運や幸福を「福」と見立てて我が家に舞い込んでほしいという、凡情の表れだとも言われています。もちろん、これは仏教行事ではありませんが、仏教的な観点から「鬼は内、福は外」と豆をまくほうが良いのではと言う人もいますが、なかなかそうはいきません。

なにも豆まきをしなくても、豆を食べなくても「福は内」と願ってしまう私がいることも事実です。


ところで、仏教法話の中に「善人の家・悪人の家」という喩え話があります。


善人の家には喧嘩が絶えず、悪人ばかりの家はみんな仲良しだというものです。 悪人ばかりの家は、何か家庭で問題が起こると、「私が悪かった」、「私のせいでした」、「私がもう少し気を付ければ良かった」と自らの非をそれぞれ話します。

一方、善人ばかりの家は、「私は悪くない」、「私は知らなかった」、「あなたが悪い」と自らの正当性を口にします。 また、良いことが起こると、自らの手柄としようとします。

だから、善人の家は喧嘩が絶えず、悪人の家は円満だというお話です。


病気や災難を鬼と思い、家から遠ざけたいのは誰しもですが、その豆をまく自らが鬼となってはいないでしょうか。


「他人を悪者にして、責め立てるばかり」が鬼で、「自らの責任を他人に擦り付ける者」を亡者と呼ぶそうです。

鬼と亡者が住む世界が地獄です。

私は僧侶ですから、今年も豆をまいたり食べたりもしませんが、鬼の姿を自らに重ねながら立春を迎えたいと思います。

合掌



三浦性暁 みうらしょうきょう

僧侶となって46年、寺院住職23年の経験、また、布教使として30数年の全国での講演活動の実践と学びをもとに、都市開教に取り組んでいます。


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